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熊本へ行ったのは2年前のちょうど今頃。みかん系がとてもおいしかった。井上揚水の歌のような「リバーサイド ホテル」に泊まった。街の中心に熊本城があり、城を取り囲むように市役所などがあった。
市電が通り、市電に乗って「水前寺公園」に行った。水前寺公園の水が、地震の影響で枯れたそうだ。あんなに豊かだったのに。 想像以上に大きい街で、企業がたくさん進出していて、豊かないい街だった。
その熊本で、地震があった。第一報は、中国の大連行き(霧の影響で、フライが1時間半遅れ)の飛行機を待つ、成田空港で聞いた。2回目の本震は、大連駅の側の九州国際ホテル(旧ラムダホテル)で、朝食を食べながら新聞を見て知った。
日本の地震を海外で知るのは、とても奇妙なものだ。そして、衛星放送で日本のニュースを見る。画面の中の人の顔が、横に広い。
19日には、大分県中部地方で震度5強の地震があった。大分県の津久見市は、私の大好きなシンガーソングライターの伊勢正三の出身地だ。そこには、正やんのお母さんが暮らしていると思う。
今は、何が出来るかわからないけれど、カウンセラーとして私にできることもあるだろう。TVのニュースを見るのが、だんだん辛くなってきている。
ジャーン。ケーキバイキングです。子育て支援士 6期生と7期生が挑戦をしました。
場所は、サンシティ越谷に近い、イタリアンの「赤いくつ」。最初は6期生が、資格取得後の懇親会に利用。お約束は、主食のパスタかピザから1人1つを選ぶこと。ケーキは、ドリンクは食べ放題、飲み放題。残したらペナルティあり。
「ケーキを食べまくるぞ!」の勢いはよかったけれど・・・・・ケーキが大きい!徐々にお腹がいっぱいになってきて、ケーキ1つでギブアップの人、2つで未練たらたらやめる人、3つ食べた人(うち1名は弘田先生)が2人。結局、10人で20個食べました。
この話を7期生にしたら、「挑戦してみたい」という。「私たちは、もっと食べられるかもしれない」という。
来ました、来ました10種類の山盛りのケーキです。さて、どれから食べましょう!ケーキを全種類食べたくなって、3等分づつし、全部のケーキを食べました。6人で、ケーキが16個。
たくさんケーキを食べてもいい状況にあっても、以外に、食べられないものですね。それもそのはずで、ケーキのカロリーは、ご飯一杯分もあるそうです。
「2食分を食べてしまったの!?」・・・・・・まぁ-1年に一度くらいは、いいですよね!
下は12月26日に、弟7期の受講生たちと食べたケーキ。多国籍ダイニング「パンゲア」で作ってもらいました。
開催から7年。100名以上の「子育て支援士」が誕生している「子育て支援士」養成講座。その共同開催者である、弘田栄子おばちゃんが、2015年4月に赤羽にCafe「小さな家」を開きました。開店当初は、多くのお祝いの人や花に囲まれて、ご満悦だった。
ところが、カフェだとしたら、不思議な現象がいくつかある。 私が遊びに行くと、オープンの看板を外してしまうのだ。「人が来たら困るでしょう」ってカフェなのに。
しかし、困るような事態には遭遇してないらしい。お客さんがほとんでみえないようなのだ。それでは採算が合わないと素人は思うが、経営者はさほど気にしている風もない。これが最大のミステリーだ。
レジはシビアだ。しかし、「このきゅーり安くしとくから持ってきな!」的な所がある。気がつくと、デザートを数種類食べていたりすることがある。
このカフェ。今度は、リニューアルオープンで、事務所になるという。さらに、軽食がとれるカルチャースクールもするらしい。私的には、カフェだから、コーヒーも出して欲しいなぁ~
興味のある方は道路を通リながら、中を覗いてみてください。覗き見OK。ホームページの覗き見もOKです。
おお~っと、場所を教えましょう。赤羽駅東口より徒歩8分。ララガーデン通り。ダイエー(果物屋さんの横)を左折。直進。赤羽教会⛪の前にあります。
歩くのが苦手な方は、地下鉄 南北線・埼玉高速鉄道の赤羽岩淵駅からなら、徒歩4~5分です。一番出口を出て、信号をスーパー「イオン」に向かう。そのまま直進して、3つ目の通り(歩道橋の手前)を右に曲がると、赤羽教会⛪が見える。その前です。
さて、弘田栄子おばちゃんの正体は、何者でしょう?
戦後70年は広島市で。あの原爆投下で死の街となってから、70年だ。古い話のようだが、私が生まれる数年前のこと。川の多い綺麗な街は、復興されていて、当時の面影を探すことすら難しい。
広島市は、市内をいくつもの川が流れる。京橋川沿いに、オープンカフェがあり、川風を感じながら紅茶を飲むことが出来る。後ろを市電が走る。
泊まった「グランドプリンスホテル広島」からは、瀬戸内海の島々が見えた。この街は、瀬戸内海に面しているのだ。ホテル内の船着き場から、厳島神社の宮島に向かう。島では、鹿が出迎えてくれて、夫のポケットからはみ出ていた一万円札を、食べてしまった。こういうことは、よくあるらしい。世界遺産効果か?外国人が多い。牡蠣と穴子がおいしい。
旅の最終日に、市電で中高一貫校の修道高校に行ってみる。ミュージシャンの吉川晃司も在籍していた高校だ。朝日新聞社刊の自分史にも書いたが、私の高校時代の恩師は、この高校に奉職していて、28才でこの地で亡くなった。シャッターを押す夫が「この高校に知り合いがいたって、誰?」と聞く。
40数年前、大学3年生の私は一人でこの地を訪れた。そのときは、どんよりした空気が街をおおっていたような気がしたけれど・・・・・・・
広島の街は綺麗で、人はやさしくて親切。修道高校の生徒は、純粋でフレンドリーで、スポーツや勉強に熱心で。こんなに人も自然も豊かで、あったかい所に先生は住み、亡くなったんだ。よかった、広島に来て。私が思っていた「冷たい所で先生は亡くなった」という思いが、訂正できて。
さいたま市の男女共同参画施設で、自分史を書こう! の講座を開催しました。
今、自分史ブームといいますが、本当にそうなのか?疑問が残ります。というのも、昨年度当法人で「わたし記念館を作ろう!」という講座を開催したのですが、新聞広告を出すも、参加者は1名。それも当法人の会員でした。
この日は、自分史活用アドバイザーの私が講師。ゲストは元講談社の編集者・古内晋典さん。だというのに、この日みえてくれたのは、子育て支援士7名とイベント関係者4名。古内さんは書き手としても、人の書いたものをみるのも、おしゃべりもプロだ。なのに、得意の弁舌をふるっても、聞いている人が少ない~~~
古内さんは、私が週刊ヤングレディの記者をしていたときの担当者です。当時は、作詞家のなかにし礼に似ていて、こころときめくような方だったのですが・・・・・無情にも時は流れます。今では猫に、もてているらしい。
一番盛り上がったのは、施設の入っているホテルのレストランで、フランス料理のコースを食べているときだなんて。高いワインを飲んで、美味しいデザートを食べて。
おしゃべりは楽しいけどさ・・・・・携帯メールあんなに熱心にうって、書くことも好きなんでしょう。話すことも書くことも、自分を解き放すこと。自分で自分を「浄化できる」って知ってた?だから、マイヒストリーを書いてみようよ。きっと、楽しいよ!
自分史を出しました。それも10冊、それも朝日新聞社で。それも代金をお支払いして。
年齢も60歳を過ぎると、いろいろと考えるものです。必死で生きてきた人生を、振り返る余裕が出て来るものです。そうして、人生の中間地点ではあるけれど、「ここらで人生をまとめておこうか」と、思うものです。
飛行機に乗るたびに思う「もしかして、飛行機が事故ったら!」や、家を出るとき思う「このまま帰って来られなかったら、どうしよう」の事態になっても、マイヒストリーが残してあれば、安心です。私の人生は、自分史の中に残っているのですから。
朝日新聞社の自分史講座は、休日の月曜日に全4回。最後は、飲み放題、食べ放題付の出版記念パーティです。会場は、天皇・皇后陛下がいらしたときに使用する、朝日新聞社内の「レセプションルーム」。ビルの13階、次の間つきの高級感あふれるフロアーです。
二人に一人、元記者などがつき、文章や構成の指導、テーマの絞り方や、クライマックスの作り方などを教えてくれます。校正はもちろん、文章の裏を丁寧にとってくれます。そして、事務局の担当4名が若手の好青年(?)揃い。私は、若い朝日の職員がひどく気に入り、いろいろ用事を作っては、話かけていました。これにより、私の制作がおくれたご迷惑をおかけしたことを、お詫びします。
いやぁ~楽しかったなぁ~自分史作成講座。
朝日新聞社の建物内に入れたし、一生かかわることがないと思っていた、朝日新聞の職員と親しくお話することができました。
海外旅行一回分お値段ですよ。おおこのセレブ感!この満足感!
あなたもお試しあれ!
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