音楽

2014年4月 5日 (土)

若い加藤和彦とエレベーターで「二人きり」。だったよね。

Photo_2

 1970年代の一時期、有楽町のニッポン放送で働いていた。仕事は秒単位で忙しく、帰りの時間さえ気にもとめていられなかった。そんなある日(19時過ぎ)、走って乗ったエレベーターに、加藤和彦がいた。私の目の前に、背の高い加藤和彦がいた。

 もちろん、ここはラジオ局だから、 ミュジシャンの加藤さんがいても、変ではない 。むしろ、「加藤和彦がいた!!!!!!」とびっくりし、加藤和彦と向き合ったまま、扉の方に体を回転させない私の方が、変だ。

 スタジオは、9階。業務部は、7階。私は、 7階から1階まで、加藤さんと2人きりだった。心臓がドキドキして、加藤さんに聞かれはしないか、心配だった。

 1階に着くと、先に降りた私の後を、加藤さんが大股で通りこして行った。LFの前には、いかしたスレンダー美人が待っていた。当時の夫人のミカさんだ。

P1030610_2

 あれから、何年たつのだろう。昨年の今頃、渋谷公会堂に、きたやまおさむの「加藤和彦物語」という、コンサートを見に行った。ゲストは、坂崎幸之助や南こうせつたち。

  精神科医のきたやまさんによると、加藤さんは「誰にも知らさず、こっそりと、それも完璧に 準備をしきって、旅立った」そうだ。物はほとんど全部、誰かに、それこそたいしてつき合いのない人にまで、やってしまったそうだ。「表面的にも普段と変わらなく」て、専門家のきたやまさんまで、ダマされてしまったそうだ。

 「加藤和彦の記念館を作りたくても、物がなくって」と、苦笑していた。でも、せめて残された者で出来ることをしようと、ファッションが好きだった加藤さんの着た「服を集めている」そうです。20091018_3

 私は、加藤さんと二人きりで過ごした時間をいただいた。加藤さんの「記念館作り」はお手伝いできなかったけど・・・・・・せめて、他の人の「記念館作り」は、お手伝いさせてもらおうと思っている。

 加藤さんは、2009.10.17に、62歳で亡くなった。もう4年半もたつ。天国で、私の父に「悲しくてやりきれない」を、聴かせてくれているだろうか?

 

2013年1月15日 (火)

プロに混じり、ステージに立つ

2013112ななんと、新しい年が明けて、12日目に、私はステージにいたのです。

会場は、ティアラこうとう。チケットは全席指定で、5,000円。そして、観客は、800人。

20:00時のアンコールのとき、舞台の私の前には、杉田二郎さん。斜め前が、元かぐや姫の山田パンダさん、と、小室等さん。大学生のとき、私は小室さんの事務所で、半年ほど働いていて、よくしゃべっていたけど、小室さん少しも覚えていなかった。あれから、40年くらいたつのだから、あたりまえか?

プロの11組のフォークシンガーと歌った、フィナーレの曲は、杉田二郎さんの「戦争を知ら22013113
ない子どもたち」。譜面を見ないようにして、観客を見て歌った。

驚いたことに、客席は見える。楽しそうにしている人や、眠そうな人、りズムの合わない人など。笑っている人がいたので、私は、ステージから笑い返した。私は「わくわく合唱団」という、30人もいるアマチュア合唱団の一員なのに、やけに余裕だ。

ステージが終わり、引き揚げるとき、間違って山田パンダさんが、私たちについてきてしまい、スタッフから呼び止められていた。山田のパンダさんは、気難しくなく、ひどく柔軟性が高そうだ。彼は今、子どもが大好きなので、子どもを相手にして、働いているそうだ。2013112_2

今度は、越谷に、うちの「子育て支援士」養成講座の講師に来てもらおう。と、心で決めた。